2020年12月22日
芸の道、40年
今日も母の話で恐縮ですが、、
私の母は、40年も日本舞踊を続けていました。

40年って凄いですよね。
葬儀で流れたDVDでは、順風満帆な人生のようでしたが、決してそうではありませんでした。
私は子供の頃や若い頃、たくさん迷惑をかけてきたし、乳がんになってずいぶん心配もかけたし
お金の苦労をしていた時期もあります。
父は5年くらい介護状態だったし、父が亡くなる半年くらい前から兄も病気になりました。
父の介護と、兄の看病をしながら、家業の駐輪場の仕事をしていました。
365日、毎朝4時に起きて、始発のお客様が来る前にお掃除していたようです。
それでも、母は一度も私に愚痴を言ったことはないし、弱音を吐いたこともありません。
強い人だなぁと思っていたけれど、、
それはきっと、踊りがあったからだと思います。
父が要介護になったとき、母は踊りをやめると言い出しました。
でも私は、もうフラを始めていたので、絶対にやめさせたくなかった。
自分もそうだったので、母にとってもきっと踊ることが支えになっていると思ったからです。
2017年の春に、母は足が悪くなり、一時は歩けなくなりました。
それで、私たちのマンションに引き取り、一緒に暮らしていたんですが、母はどうしても6月の発表会に出たいようでした。
毎日のように病院に付き添い、リハビリを手伝い、先生が特別におけいこをしてくださるというので、何回も送迎をして、、
そして母は、発表会で、舞台に立ちました。
気迫のこもった踊りで、立派に最後まで踊り切りました。
見ていて涙が止まりませんでした。
その姿が、今でも強く心に残っています。
その時の写真です。

当時、82歳です。
その舞台を最後に母は踊ることをやめました。
本当は続けたい気持ちもあったようなのですが、その年の8月に足を骨折して入院してしまい、踊りどころではなくなってしまいました。
粉砕骨折だったので、杖を使っても歩けるようにはならないかもしれないとお医者様に言われましたが、母はまたリハビリを頑張って、歩けるようになりました。
もしかしたら、もう一度、踊りたかったのかもしれません。
母は、その後も長い髪を切らず、毎日結っていました。
施設にショートステイに行くようになり、手入れが大変だからと少しずつ短くなっていきましたが、それでもまとめられるくらいの長さでした。
亡くなった日も、病院で見た時、綺麗に髪をまとめていました。
毎日髪を結う。
それはきっと、40年踊りを続けてきた母の、こだわりであり、誇りだったのかもしれません。
私が、踊ることが好きなのは、母の遺伝子なんだなぁと、いましみじみ思っています。
そんなにも夢中になれる日本舞踊に出会えて、母はやっぱり幸せだったと思います。
私が指導者になってからは、生徒さんと踊る姿を見るのが、とても好きでした。
主人が、地元のおまつりに、よく連れてきてくれました。
だから、母の旅立ちに、生徒さんと一緒に踊れたことは、最高のプレゼントだっだと思います。
こんな時期なのに、式に参列してくれて、私と一緒に踊ってくれた生徒さんたち、本当に感謝しています。
ありがとうございました(T . T)
ちょっと書くのがつらくなってきたのでこのへんにしておきます。
また明日。
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私の母は、40年も日本舞踊を続けていました。

40年って凄いですよね。
葬儀で流れたDVDでは、順風満帆な人生のようでしたが、決してそうではありませんでした。
私は子供の頃や若い頃、たくさん迷惑をかけてきたし、乳がんになってずいぶん心配もかけたし
お金の苦労をしていた時期もあります。
父は5年くらい介護状態だったし、父が亡くなる半年くらい前から兄も病気になりました。
父の介護と、兄の看病をしながら、家業の駐輪場の仕事をしていました。
365日、毎朝4時に起きて、始発のお客様が来る前にお掃除していたようです。
それでも、母は一度も私に愚痴を言ったことはないし、弱音を吐いたこともありません。
強い人だなぁと思っていたけれど、、
それはきっと、踊りがあったからだと思います。
父が要介護になったとき、母は踊りをやめると言い出しました。
でも私は、もうフラを始めていたので、絶対にやめさせたくなかった。
自分もそうだったので、母にとってもきっと踊ることが支えになっていると思ったからです。
2017年の春に、母は足が悪くなり、一時は歩けなくなりました。
それで、私たちのマンションに引き取り、一緒に暮らしていたんですが、母はどうしても6月の発表会に出たいようでした。
毎日のように病院に付き添い、リハビリを手伝い、先生が特別におけいこをしてくださるというので、何回も送迎をして、、
そして母は、発表会で、舞台に立ちました。
気迫のこもった踊りで、立派に最後まで踊り切りました。
見ていて涙が止まりませんでした。
その姿が、今でも強く心に残っています。
その時の写真です。

当時、82歳です。
その舞台を最後に母は踊ることをやめました。
本当は続けたい気持ちもあったようなのですが、その年の8月に足を骨折して入院してしまい、踊りどころではなくなってしまいました。
粉砕骨折だったので、杖を使っても歩けるようにはならないかもしれないとお医者様に言われましたが、母はまたリハビリを頑張って、歩けるようになりました。
もしかしたら、もう一度、踊りたかったのかもしれません。
母は、その後も長い髪を切らず、毎日結っていました。
施設にショートステイに行くようになり、手入れが大変だからと少しずつ短くなっていきましたが、それでもまとめられるくらいの長さでした。
亡くなった日も、病院で見た時、綺麗に髪をまとめていました。
毎日髪を結う。
それはきっと、40年踊りを続けてきた母の、こだわりであり、誇りだったのかもしれません。
私が、踊ることが好きなのは、母の遺伝子なんだなぁと、いましみじみ思っています。
そんなにも夢中になれる日本舞踊に出会えて、母はやっぱり幸せだったと思います。
私が指導者になってからは、生徒さんと踊る姿を見るのが、とても好きでした。
主人が、地元のおまつりに、よく連れてきてくれました。
だから、母の旅立ちに、生徒さんと一緒に踊れたことは、最高のプレゼントだっだと思います。
こんな時期なのに、式に参列してくれて、私と一緒に踊ってくれた生徒さんたち、本当に感謝しています。
ありがとうございました(T . T)
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